空気って読むものじゃなくて吸うものだったんだ


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このあいだ、こんな広告の一文を見つけました。

「空気って読むものじゃなくて、吸うものだったんだ」

僕は生まれが自然豊かな田舎なので、とても空気の美味しい環境で育ちましたが、東京に引っ越してから数年は、まさにこの言葉通り、読むものだと認識していたようです。

いま現代に流れる空気の認識、そんなお話です。

 

当時は空気を読むなんて気にした事がなかった

座る女の子

 

僕が学生の時は、空気を読むという言葉すらなかったように思います。高校生くらいになって、ようやく「空気を読む」そんな言葉が使われだしたような気がします。

なんとなく、ピーンと張り詰めたような空気。

みんなやってるんだから、やるのが普通でしょ?という空気。

おそらく「空気を読む」という言葉がなかった時から、このような「空気」は誰しもが感じていたものだと思います。

今思うと、そんな状態を「空気を読む」と言い出した人は、すごく的確な表現だなと、感心します。

 

学校生活、職場、友達同士、あらゆる場所に読まなければいけない「空気」が存在します。

空気を読み間違えると、「空気が読めないやつ」と非難の対象となってしまう恐ろしい環境です。

数年前は、「KY」なんて言葉も流行りましたね。

果たして、その場に生じる「空気」とは誰が作り出し、なぜ従わなければいけないんでしょうか。

他者と違う行動をとることを非難するあの「空気」、少し疑問に感じます。

 

日本人はもともと空気の読める人種

木々の上に寝そべる女性

 

日本人ってもともと空気の最も読める人種だと思うんです。

2020年東京オリンピック招致の際、ブームになった「おもてなし」という言葉。

日本人が古くから持っている「おもてなし」の精神は、まさしく空気を読み、相手の気持ちを察する。

それこそが日本人が本来持っている空気の読み方なのではないでしょうか。

しかし、「おもてなし」にしろ、「空気を読む」にしろ、今まで自然と感じ取っていたものが、言葉が生まれブームとなってしまったが為に、自然と流れ込むものでなく、義務的であり、表面的であり、本来の良さが失われたものになった気がします。

 

おもてなしの一人歩き

「おもてなしブーム」は海外の方へはいいアピールとなったことでしょう。日本国内においても、古くからの日本の「おもてなし」を見直すキッカケとなりました。

しかし、「おもてなし」いうものが一人歩きしているようにも感じます。

 

本来のおもてなしとは、目配り、気配り、心配り

茶道でも表現される“侘び寂びの心”を持ち、表に出過ぎない控えめなものです。その場にいない相手に対して、その方をお迎えするに当たり、心をこめて準備をする等目に見えない心を目に見えるものに表す。その為の努力や舞台裏は微塵も表に出さず、主張せず、もてなす相手に余計な気遣いをさせないことが、「おもてなし」の本質です。

社員、スタッフ、仲間を大切に思う心を言葉や態度、社内、お店のしつらえ、環境整備等に表していくことが大切です。

おもてなし道大学より

 

これこそがおもてなしですよね。

おもてなしとは本来、自然と生まれ存在するものであって、押し付けたり求めることではありません。

しかし、ブームからというもの、「おもてなし」の押しつけや過剰なサービスの要求。そんな名ばかりの「おもてなし」が広がりつつあります。

英語で「サービス」(仕える・奉仕する)は、ラテン語「servitus」(セルヴィタス)を語源とし、奴隷という意味をもちます。

奴隷という語源の通り、サービスを受ける側(お客様)が主であり、主に対し、サービスを提供する側が従者となります。

サービスには完全なる主従関係が存在しているのです。

おもてなしとサービスは、混同されがちですが、似て非なるもの。

物事が明確されるのはいい事ですが、そうではなかったからこそ、価値のあるものもあったのではないでしょうか。

 

空気が読めるからいいとも限りません

「空気を読みすぎるな、空気みたいな存在になるぞ」

こんな言葉もあります。

空気を読むというのは、多くの場合、自分では別の考えや意見があるけれども、ここは周りに合わせておいた方がいいなと、内に秘めておくことだと思います。

これって、一見協調性があるようにも感じますが、毎回そうだとそこに存在している意味がないですよね?

例えば、仕事の会議においても、

「Aプランでいこう」という空気が流れているが、Aプランでは成果は上がりづらいとあなたが思っている場合。

空気を読んで「Aプランに賛成する」のか、「いや、Aプランもいいんですがこんなのはどうですか?」と別の案を提供してみる。

おそらく賛成すれば、失敗することはないでしょう。しかし、成功もありません。そしてその会議に参加している意味もありません。

しかし意見を言った場合、否定される事もあるかもしれませんが、採用され、会社の利益に大きく貢献できるかもしれません。仮に否定されたとしても、ひとつの意見として、周りの仲間に伝わってはいます。それが後に活きてくる場合もありますしね。

当然、時と場合と相手を選ばなければなりませんが・・・。

空気を読むことは、波風は立ちませんが、新たな波は起こせません。あなたにとっても、取り囲む人たちにとっても。

 

空気を読む事が目的と化していませんか?

空気の読めない人とや、もしく読んだ上で他と違う行動を起こす人。そんな人たちは時には周りから白い目で見られることもありますが、常に存在感を示し、自分の思う人生を生きているのではないでしょうか?

今の日本には空気を読みすぎて、気を遣い、自分の意見が言えない、そしてストレスを抱え込んでしまう人がとても増えています。そしてそのストレスを抱え込むのは自分だけでなく、空気を読みすぎるあなたに対し、周囲も感じているのかもしれません。

空気を読むのが常識、空気を読めなければ非常識。

確かにそうかもしれません。しかし常識という言葉にとらわれ、そこに疑問を感じながらも自分を押し殺して生きていく人生にどれほどの価値があるのでしょうか。

それがあなたが幼いころから思い描いていた人生でしょうか。

 

空気は吸っていないと吸い方を忘れてしまいます

疑問を抱く少年

 

過酷な仕事現場、周りと違うことを恐れてしまう学校生活。

嫌でも空気を読まなければいけませんね。そんな環境に身を置き続けていると、空気の吸い方を忘れてしまいます。

そこが世界のすべてのように感じられ、息苦しく、深く暗い海の底でもがいているかのように感じられます。

 

しかし、それは空気を読んで読んで、読み続けて、空気の吸い方を忘れているだけだったりします。

空気を読むことが目的と化し、本来持つあなたの考えや理想からかけ離れて行ってしまっている。

 

僕は時々田舎に帰ると、空が広く、風が吹き抜け、すがすがしい空気が流れ込んできます。

そんなところで、すっーと深呼吸すると、「あぁ、今まで何にそんな悩んでいたんだろう・・・」

 

そこで生まれ育ち、良く知っているはずの空気の吸い方を忘れてしまっていたのです。

そんな風に自分の中に蔓延している空気を入れ替えると、今直面している壁や悩みって、そんなに大したことではなかったりします。

 

「押してダメなら引いてみる」、「考えてる暇があったらやってみる」。ありきたりな言葉ですが、的確な言葉だと思います。

「空気を読みすぎているな」と感じている人は、空気を入れ替え、本来の自分を取り戻すべく行動に移しましょう。

 

時には、そんな空気との触れ合い方もいいのではないでしょうか?

本来自分がやりたかったこと、送りたかった人生とはなんだったのか・・・振り返るきっかけとなります。

すると、「空気って読むものじゃなくて、吸い込むものだったんだ」

きっと、心からそう思えるはずです。

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