イライラするのは、相手との違いを認められないから
人間誰しもイライラすることはあると思います。
その原因として1番多い理由が人間関係。
職場での人間関係にストレスがたまる、夫婦間ですれ違いが多くてうまくいかない。
理由は様々あると思いますが、なかなか改善できない。
それは、ストレスやイライラというものの捉え方として、「感じるもの」という意識があるからです。
「あの人の言ってることは理解できない」
「話してるとなんかイライラする」
「そんなのありえないでしょ」
ストレスやイライラを感じた時そんな言葉で片付けていませんか?
「感じるもの」という、言語化しづらく、抽象的なものだという認識がある為、改善がしづらい。
そうではなく、「理解し言語化できるもの」としてストレスやイライラを認識すること。
そうすることで、ストレスがイライラの蓄積を防ぎ、心にゆとりを持つことができます。
見出し
イライラとは相手と自分との認識の相違
特にイライラを感じることが多いのが仕事。
近年は仕事によるストレスで、心を病んでしまう人が増加の一途をたどっています。
そんな仕事のストレスとはなぜ生まれるのか・・・
それは相手と自分との認識の相違から生まれます。
仕事をしていると、「あれをしなさい、これをしなさい」といろんな指示を受けたり、自分では「こうした方がいい」と思っていても、なかなか意見が通らないことが多々あります。
上司から理不尽に怒られることもあるでしょう。
そんな状況に気を病むのもわかりますが、その原因を考えたことはあるでしょうか?
そんな状況を、「腹立たしい・・・」「イライラする・・・」 そんな言葉で片づけてしまってはいませんか?
それではいつまでたっても状況は変わらないでしょう。
ストレスを「どうにもならないもの」、「仕事とはそういうもの」とあやふやなまま諦めるのではなく、発生する原因を分析することで、ストレスと向き合い、うまく付き合うことができます。
人は誰しも「自分の考え」というものを持っています
あたりまえの事のようですが、人は誰しもが「自分の考え」というものを持っています。
当然ながらその「自分の考え」というものを正しいと思っています。
正確には、「自分だけの考え」にプラスして「他者の意見」や「周りの状況」を踏まえたものが「自分の考え」となります。
なにをするにも、なにを発言するにも、行動の決定権はその人自身です。あなたではありません。
ある意味、人の考えとはかみ合わなくて当然なのです。
人の考えはすべて主観的である
幼いころは、「好き」「嫌い」という感情だけが「行動の基準」だったかもしれませんが、成長や経験とともに、色んな考えが生まれていきます。
「やりたい」「やりたくない」
「正しい」「正しくない」
「やったほうがいい」「やらないほうがいい」
自分の感情だけでなく、相手や周り、状況を考慮して多くの基準をもとに判断するようになります。
つまり、人の考えとはすべて、多くの基準に基づいた、「主観的な考え」と言えます。
「あの人は客観的な考えができるよね」と言われる人がいますが、それも客観的な考えを取り入れた上で、判断した自分の主観的考えです。
この「主観的考え」を、先ほどのその人自身の行動決定権により、実行しています。
例えば、「ありがた迷惑」という言葉がありますが、最もわかりやすい言葉かもしれません。
本人は相手のことを想い、タメになればと行動しますが、結局は主観的考えで自分の判断のもと、行動しています。
つまり、あなたにとって「ありがたいこと」と、その人が想像するあなたの「ありがたいこと」に相違が生まれています。
この例は、日常では良くあることかも知れませんが、「ありがた迷惑」に限らず、人間関係のすべての考え方に当てはまります。
それはなぜなのか、
そもそものバックグラウンドが違う
生まれ育った環境、これまで経験してきたこと、判断してきたこと、あらゆる事柄を元に今の「自分の考え」というものが形成されています。
すべての人間はバックグラウンドが違います。
親兄弟であっても、同じ人は一人たりともいません。
たとえ、最終的に導き出した考えや選択が同じだとしても、その考えに至るまでの過程に違いがある為、本質的には、同じ考えだとは言えません。
目的達成のために、同じ行動をしていたとしても、その行動をしようと考える理由や、本質的な目的が違うということ。ささいな日常生活から、友人関係、仕事の判断など、すべての行動に当てはまります。
つまり、「気があう人」とは、最終的に導き出して選んだ行動や発言が限りなく近く、たどり着くまでの過程も限りなく近い人。
簡単に言うと近い考えを持つ人。バックグラウンドが似ている人。
逆に「気が合わない人」とは、発言や行動も共感できなければ、その行動をするに至った過程も異なる人。
簡単に言うと、全く違う環境で育ち、違う考えを持つ人。バックグラウンドが大きく異なる人。
つまり、何をするにおいても行動の基準が違い、根本となる考え方が違うのです。
相手の基準を認識すること
相手と意見が異なり、どちらが正しいのか、そんな場面において
相手は相手で、自分の基準があり、正しいと思う行動をとります。
あなたはあなたで、正しいと思う行動をとります。
あなたが仮に、「いや、それはおかしいよ!!」
と、投げかけてもあなたがおかしいと思うのと同じ熱量で、相手は「いや、私が正しいよ!!」と思っているのです。
そんな状況にも関わらず、自分こそが正しいとお互いに主張しても、話は平行線で「自分こそが絶対正しいのになぜわからないんだ!!」 と、お互いイライラするだけです。
それではいつまで経っても、その人と打ち解けることはできません。
仕事はストレスが発生するもの
特に仕事においては、そんな状況に直面することが多いでしょう。
立場も、年齢も、過去の経歴も、出身地、育った環境、仕事上の目的、人生プラン、すべてが異なるのです。
更には求める仕事スタイルも「利益の追求」「やりがいが欲しい」「のんびり働きたい」など、様々です。
もちろん考えが近い人も存在しますが、基本的には異なるものと捉えたほうがいいでしょう。
それぞれ自分の基準に基づいて、仕事をし、生活しています。
そんな相手に、「なぜわからないんだ!」「なぜできないんだ!」と言ってもそれは自分のエゴでしかありません。
(もちろん業務上最低限やらなければいけないことはありますし、単純に能力が足りないところもあります)
「いまどきの若い者は・・・」という言葉
いつの年代も、「いまどきの若い者は・・・」という言葉が使われているように思います。
今の40~50代の世代は、「いまどきの若い者は・・・」という言葉を使うかもしれません。
しかし、その人たちが若いときは、同様に「いまどきの若い者は・・・」といわれて育ったことでしょう。
20年、30年という世代の差があれば、当然育つ環境も違いますし、考え方も違って当然です。
身近なところでいうと、昔はパソコンもスマホもありませんでしたが、今の若者は生まれた当時からありますからね。
ちなみに、「今どきの若い者は・・・」という言葉は、なにも近年生まれた言葉ではありません。
古代エジプトの象形文字にも「今どきの若い者はビールを飲むマナーを知らない」という言葉が残されているようですし、古代メソポタミア文明にも、似たような表記が残されているそうです。
ほぼ人類誕生以来から使われているほど、世代間ギャップとは理解しがたいモノだと言えます。
若者とは、未熟で不躾なものです
しかし、これからの日本を担うのも彼らの役目です。
年長者から見れば、「礼儀がなってない」「だらしがない」「根性がない」そんな意見が出るのもわかります。
しかし、「いまどきの若い者は・・・」などという言葉で安易にかたづけず、新しい世代に生きる彼らに目を向ける必要もあります。
世代を越えて伝えなければいけないことは、しっかり伝え、自分の考えの古いところや、古い慣習は、しっかりと受け止め、新しい時代を築いていかなければなりません。
自分の考えだけを押し付けても互いの成長とはなりえません。
もちろん若者だけに限ったことではありません。どんな相手であれ、お互いを尊重する気持ちが大事です。
相手を理解することで思いやりが生まれる
色々と述べてきましたが、相手を理解することとは、そう簡単にいく事ではありません。
ここで書いたことを理解したとしても、今までストレスを感じていた相手に対し、ストレスを感じなくなるかと言ったらそんなことはありません。
おそらく今までどおりの日常が流れていきます。
しかし、「相手を考えを理解する」ということを心の片隅に置いておけば、わずかな心のゆとりが生まれるはずです。
「こんな考え方の人もいるんだ」、「こういう考え方をするというのはどんな環境で育ってきたのかな、、?」と一歩引いて相手を見てみましょう。
初めはそのゆとりも小さなものでしょう。
しかし、常に意識し続けることを忘れなければ、だんだんと自分の心を満たしていってくれます。
さっきまでのイライラは少しは収まり、相手の考えを理解しようと思えるはずです。
「自分とは考えが違う相手」に対し、すこしずつですが思いやる気持ちが生まれます。
「相手が抱えている考え」、「自分の抱えている考え」
考えをぶつけ合うだけでなく、双方にとって、最適な終着地点はどこなのか。
少しずつ探っていくことこそが、人間関係の第一歩となるのではないでしょうか。
もちろん根幹となる自分の考えはしっかり持ちましょう。
>>モヤモヤしたストレスを解消する気分転換方法16選
>>「あ~っ!もう!」ついイライラした時に気持ちを切り替える為の対処法
スポンサードリンク